二つの三字形を比べる
都市篇第六十六号は、コートジボワール最大の都市アビジャンです。
中国語圏の公的資料には、三字の音写が二つあります。中華人民共和国外交部は簡体字の阿比让、中華民国外交部は繁体字の阿必尚を用います。
阿比让を日本で通常用いる字体へ直すと阿比譲です。阿必尚は、そのまま日本の字体として扱えます。どちらもAbidjanの音を三字へ写した既存表記ですが、字の選び方と中国語での音が異なります。
今回は、台湾外交部の1998年の年鑑と2015年の渡航資料で用例を確認でき、字体を置き換えずに取り込める阿必尚を暫定制定都市名に採ります。阿比譲も、現在の中国外交部の用例に対応する有力な異表記として記録します。
日本語では「アビジャン」
日本国外務省は、コートジボワールの都市名をアビジャンと記します。同省は法定首都をヤムスクロとしながら、実質的な首都機能がアビジャンにあると説明しています。
日本の辞書・百科事典も、見出しにはカタカナのアビジャンを用います。『デジタル大辞泉』はギニア湾に面する前首都・港湾都市、『世界大百科事典』は政府機関の多くが残る事実上の首都として説明します。
国立国会図書館サーチの公開検索で、アビジャン、アビヂャン、アビジヤン、Abidjan、阿比譲、阿比讓、阿比让、阿必尚などを照合しました。しかし、日本語資料がこの都市の地名として用いた歴史的な漢字形は特定できませんでした。
公開検索で特定できないことは、不存在の証明ではありません。画像だけの地図、本文検索できない資料、別の音写には未確認の用例が残る可能性があります。このため、日本語の歴史表記は登録せず、継続調査とします。
中国外交部の「阿比让」
中華人民共和国外交部のコートジボワール国情報は、政治首都を亚穆苏克罗、経済首都を阿比让と記します。政府機関と外交使節の多くが現在もアビジャンにあることも明記しています。
阿・比・让の三字は、中国語でAbidjanの音を写す表記です。意味を訳した都市名ではありません。日本語側へ移す場合、簡体字の让は日本の字体では譲に当たるため、阿比譲となります。
ただし、これは字体対応によって作る日本語側の形です。中国外交部が阿比譲の三字を用いているわけではなく、日本語資料に歴史的な直接用例が確認されたわけでもありません。
台湾外交部の「阿必尚」
中華民国外交部の1998年版年鑑は、コートジボワールの旧首都を阿必尚(Abidjan)と記します。2015年の渡航情報でも、Abidjan International Airportを阿必尚國際機場と表記しています。
阿必尚も三字の音写です。現在の日本語の読みを漢字音で再現するものではありませんが、台湾政府の公的資料で都市名として直接用いられ、少なくとも1998年から2015年まで用例を追えます。
本稿が阿必尚を採るのは、台湾外交部の複数時点の用例を確認でき、字を置き換えず三字形を保存できるためです。台湾の用例を確認したことと、日本語の既成表記であることは同じではありません。そのため制定区分は創とします。
名の由来は「葉を切る」だけではない
アビジャン自治地区の公式史は、都市名の由来に複数の解釈があるとします。
よく知られる話では、道を尋ねた植民者の言葉を理解できなかった女性が、エブリエ語で「私は葉を切っている」という意味のMin-tè m'bidjanと答え、植民者がそれを地名と受け取ったとされます。
しかし同じ公式史は、より可能性の高い説明として、土地を占めていたビジャン人の名を挙げます。場所への所属を表す接頭辞a-とBidjanが結び付き、Abidjanは「ビジャン人の土地」を意味するという説明です。
葉を切る女性の話は伝承として記録しますが、確定した語源とはしません。ビジャン人説も、個人が一度に都市名を考案した記録ではありません。このため都市名の命名者は登録しません。
植民都市より前の土地と人びと
アビジャン自治地区の公式史は、エブリエとも呼ばれるチャマン人の諸集団が潟湖周辺に居住し、その一つがビジャン人だったと説明します。現在の市街は、これらの村落があった場所へ重なるように広がりました。
フランス植民地政府は、港と行政中心を建設する過程でプラトー地区などを整備しました。公式史は、現地住民が移動させられ、住居が取り壊されたことも記しています。
アビジャンの発展を、無人の土地に近代都市が新設された物語へ縮めることはできません。港湾建設以前の居住、植民地支配による土地利用の変更、住民の移動を同じ都市史の中で扱う必要があります。
三番目の植民地首都
コートジボワール植民地の首府は、はじめグラン・バッサムに置かれ、その後バンジェルビルへ移りました。アビジャン自治地区の公式史によれば、アビジャンは1933年8月18日の政令を経て、1934年7月1日に植民地の首府となりました。
行政中心の移転には、港湾建設と鉄道の整備が深く関わりました。1950年にエブリエ潟湖と大西洋を結ぶヴリディ運河が開き、1951年に港が供用されると、アビジャンは西アフリカの主要港として急速に成長します。
1960年の独立後も首都でしたが、1983年に法定首都はヤムスクロへ移りました。現在も政府機関や外交使節の多くが残るため、日本国外務省はアビジャンに「実質的首都機能」があると説明しています。
公式サイトの一覧では、法定首都かどうかを示す欄を非首都とします。都市紹介には、実質的な政治・経済中心であることを別に明記します。
潟湖と港の都市
アビジャンは、ギニア湾沿岸のエブリエ潟湖を取り囲むように広がります。プラトー、ココディ、トレシュビル、ポール・ブエ、ヨプゴンなどの地区が、潟湖と橋によって結ばれています。
中国外交部はアビジャンを経済首都とし、アビジャン自治港を西アフリカの主要港、内陸国ブルキナファソやマリの海への出口として位置づけています。鉄道はアビジャンからブルキナファソのワガドゥグーへ延びます。
国連地名専門家グループの都市データは、アビジャンの代表座標を北緯5.34947032165547度、西経4.01813077089814度としています。公式サイトの地図には小数第六位へ丸めた北緯5.349470度、西経4.018131度を用います。
これは都市を示す代表点です。市域の重心、自治地区庁舎、港湾施設の中心を精密に示す値ではありません。
2021年の市人口は5,616,633人
コートジボワール国立統計研究所の2021年人口・住宅国勢調査は、アビジャン市の人口を5,616,633人と集計しています。基準日は2021年12月14日です。表の男性欄と女性欄を足すと総数欄より1人多くなりますが、本稿は公表表の総数欄を採ります。
この市人口は、アボボ、アジャメ、アテクベ、ココディ、クマシ、マルコリ、プラトー、ポール・ブエ、トレシュビル、ヨプゴンの十コミューンを合計した値です。
同じ調査でアビジャン自治地区全体は6,321,017人です。こちらにはアニャマ、バンジェルビル、ブロフォドゥメ、ソンゴンなども含まれます。本誌の一覧では中心市街を構成する十コミューンの合計を都市的地域の人口として載せ、自治地区全体の値とは分けます。
二つの三字案を比較する
阿必尚
台湾外交部が都市と国際空港へ直接用いた三字形です。1998年の年鑑と2015年の渡航資料という二つの時点で確認でき、日本側で字体を変える必要がありません。
反面、日本語漢字音からアビジャンの読みを復元することは難しく、日本語の歴史的使用も未確認です。
阿比譲
中国外交部の簡体字形阿比让を、日本で通常用いる字体へ直した三字形です。中国外交部の現行公的表記との対応が明確です。
ただし、中国語の直接用例は阿比让であり、阿比譲そのものは日本側の字体変換です。また、日本語では「譲る」という意味が先に立つ可能性があります。
二案とも三字で、短さには差がありません。本稿は、公的資料の文字列を変更せず取り込める阿必尚を優先します。
万国漢字志への取り込み
暫定制定都市名には、三字の阿必尚を採ります。制定区分は創です。
阿必尚は本稿が無から作った文字列ではなく、台湾外交部に直接用例があります。それでも創とするのは、日本語の歴史表記を継承するのではなく、中国語圏の音写を日本語の都市索引へ新たに取り込むためです。創は、この三字を世界で最初に考案したという表示ではありません。
中国外交部の阿比让に対応する阿比譲も、公的用例に基づく有力候補として併記します。どちらかの初出や漢字選定者は確認できませんでした。
都市名の由来にはビジャン人説と葉を切る女性の伝承がありますが、個人の命名行為を示す資料ではありません。都市名と漢字表記の命名者は、いずれも未確定とします。
万国漢字志の暫定案
現代日本語都市名
アビジャン
所属国
コートジボワール
中国大陸表記
阿比让
台湾政府表記
阿必尚
暫定制定都市名
阿必尚――創
制定状態
暫定制定・日本語原典、二つの漢字形の初出と選定者を継続調査
採らなかった表記と未解決点
阿比譲は、中国外交部が用いる阿比让と対応する三字形です。現在の公的用例へつながる点では強い候補ですが、日本側で簡体字を置き換えた形であるため、今回は原資料の字体をそのまま保てる阿必尚を採りました。
阿必尚を日本語の既成表記とは扱いません。台湾の公的用例を確認できても、日本語資料で歴史的に使われた都市名であることは確認できないためです。
未解決点は、日本語資料における漢字表記、阿必尚と阿比让の初出・選定者、Abidjanという地名の語源を確定できる初期記録です。葉を切る女性の話とビジャン人説は、自治地区の公式史が紹介する複数の説明として残します。
参考資料
- 外務省「コートジボワール共和国 基礎データ」
- 小学館・平凡社ほか「アビジャン」
- 国連地名専門家グループ「City Details - Abidjan」
- 中華人民共和国外交部領事服務網「科特迪瓦」
- 中華民国外交部『中華民國八十七年外交年鑑』附録五
- 中華民国外交部「我國人持中華民國護照可享免(落)簽及其他簽證便利待遇前往之國家或地區增至148個」
- コートジボワール国立統計研究所『RGPH 2021 Résultats globaux』
- アビジャン自治地区「L'historique」
- 国立国会図書館サーチ
編纂綱領と公式サイト
本稿は万国漢字志 編纂綱領に基づいて調査・選定しています。
都市一覧は万国漢字志 公式サイトで公開します。
次回予告|都市篇 第六十七号
次は、グラン・バッサムです。
アビジャンから東へ進み、コートジボワール最初の植民地首都となった港町の名と、漢字圏の表記を調べます。
