万国漢字志

都市篇 · ドイツ

万国漢字志 都市篇 第二百四号|ベルリン――『舞姫』の原頁に残る「伯林」――

ベルリンを記す二つの漢字名、伯林と柏林。1890年の『舞姫』の原頁、後年の電子翻刻、中国の外交文書を並べ、一字の違いを考える。

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同じ小説の中にある二つの書き方

『舞姫』のベルリンは、いつも漢字で書かれているわけではありません。

1890年の『國民之友』第69号を開くと、本文47頁には「ベルリンの都」、次の48頁では留学生をめぐるくだりに「伯林」が見えます。同じ作品のすぐ近くで、カタカナと漢字が使い分けられています。漢字の地名を探していると、つい一つの表記だけを取り出したくなりますが、頁を続けて見ると少し違う景色になります。

一方、現代の中国の外交文書にあるのは柏林。伯と柏はよく似ています。この一字の違いを、古い字と新しい字の違いとして片付けてよいのでしょうか。


歴史表記

国立国語研究所が公開する『國民之友』第69号の画像で、「舞姫」の掲載頁を確認しました。目次は作品を45頁に掲げ、作者名を「鷗外森林太郎」としています。紙面にある発兌日は明治23年1月3日です。

本文48頁の下段、主人公と同郷の留学生たちとの関係を説明する箇所に、伯林の二字があります。PDFでは50枚目に当たります。この箇所では、漢字にベルリンのルビが付いているとは確認できません。読みの手がかりになるカタカナは、別の箇所である本文47頁の上段にあります。

ここで確かめたのは、1890年の当該号に伯林の用例があることです。これを日本語での初出とする調査は行っていません。鴎外がこの二字を作った、ともいえません。作品に用いた人と、表記を最初に選んだ人は別に確かめる必要があります。


日本語での用例

青空文庫の『舞姫』では、同じ留学生のくだりに**伯林(ベルリン)**とルビが付いています。こちらは1962年初版、1980年増補改訂版の講談社『日本現代文學全集』所収本文を底本とする電子翻刻です。

1890年の紙面をそのまま文字に起こしたものとして扱わず、原頁で見た漢字と、後年の底本に基づく翻刻で見たルビを分けておきます。二つを合わせれば説明はしやすくなりますが、ルビまで1890年の同じ箇所に印刷されていたことにはなりません。

現代日本語名には、外務省「ドイツ基礎データ」の首都欄にあるベルリンを採ります。小説の都市と現代の首都を対応させても、当時と現在の市域や人口まで同じだったと考える必要はありません。


中国語圏その他の表記との比較

中国外交部の「驻德国大使吴恳拜会柏林市长魏格纳」は、2024年2月28日付の訪問報告です。本文冒頭は前日の訪問を記し、柏林市政厅、柏林市长という形で市の名を使っています。

これは現代中国語の柏林の原文用例です。今回の日本語史料の伯林とは、先頭の字が違います。伯から柏への違いは、新字体と旧字体の置換ではありません。 本稿では、一方を他方の略字体としてまとめません。

この一例から、中国語圏のすべての地域・時代で同じ表記だったとはいえません。台湾などの別資料を確認した扱いにもせず、日本語史料の用例との比較にとどめます。


二文字・三文字案の比較

伯林

1890年の日本語史料で確認した二字を、そのまま残す案です。字を足さず、削らず、都市篇の標準の二字に収まります。

ただし、伯と林を普通の音読みで続けても、ベルリンの全音は出てきません。後年の翻刻にあるルビのように、ベルリンという読みを添えて使うことが必要です。漢字だけで誰もが同じ音を読み取れる表記とは考えません。

柏林

現代中国語の原文で確かめた二字です。本誌が作った別案ではありません。現在の中国語資料と照合しやすい利点がありますが、日本語史料で確認した伯林を取り上げる本稿では、これを無条件に置き換える理由はありません。

倍留林

「ベ・ル・リン」という日本語の音のまとまりを意識した、本誌の三字創案です。既存の歴史表記として発見したものではありません。倍を通常は「バイ」と読むことや、留の読みの選び方にも説明が要り、三字にすれば発音が自明になるわけではありません。

二字の先例を持つ都市に、音を連想させるためだけの三字を新たに加えるより、読みを明示して伯林を残す案を採ります。


万国漢字志の暫定案

現代日本語都市名

ベルリン

所属国

ドイツ

原頁で確認した日本語の歴史表記

伯林

確認した現代中国語表記

柏林

暫定制定都市名

伯林――史

制定状態

暫定制定・原典継続調査

日本語の歴史的な紙面で二字の用例を確かめたため、区分は「史」とします。広く定着した伝統的表記という判定までは広げません。字形の調整は加えません。

人口はドイツ連邦統計局(Destatis)の自治体一覧年次版による、2025年12月31日現在3,700,577人。人口と自治体境界はいずれも2025年12月31日を基準とし、2026年8月公表の版を用います。2022年国勢調査を基礎とする公式人口更新統計で、住民登録簿による別集計の人口や都市圏人口とは区別します。対象はBerlin自治体全体です。ベルリン・ブランデンブルク統計局の同日人口とも一致します。


採らなかった表記と未解決点

柏林は現代中国語の確認例として残します。倍留林は比較のための本誌案です。この二つを、1890年の紙面で確認した異表記として並べることはしません。

伯林と柏林がそれぞれ日本語に入った経路、使用範囲、いちばん早い用例、選字者は要継続調査です。また『舞姫』の各版に見えるカタカナ・漢字・ルビの変化も、一つの電子翻刻だけで通覧したとはいえません。

原頁にある漢字、別の行にあるカタカナ、後年の翻刻にあるルビ。それぞれの所在を確かめながら、二字の伯林を暫定的に採ります。


参考資料


編纂綱領と公式サイト

本稿は万国漢字志 編纂綱領に基づいて調査・選定しています。 都市一覧は 万国漢字志 公式サイト で公開します。


次回予告|都市篇 第二百五号

次回はハンブルク。日本語訳の電子翻刻にある「漢堡」と、ハンブルグの読みを比べます。