名づけた人と、名になった人
都市篇第六十五号は、リベリアの首都モンロビアです。
この名は、米国第5代大統領ジェームズ・モンローに由来します。しかし、モンロー本人が都市名を作ったわけではありません。
アメリカ植民協会の機関誌『African Repository』が1891年に掲載した回顧記事は、1823年のリベリア地図を作る際、ロバート・グッドロー・ハーパーと地図作成者ジョン・H・B・ラトローブが交互に名称を選び、ハーパーが国名Liberia、ラトローブが中心都市名Monroviaを選んだと記します。
したがって、都市名の選定者にはラトローブ、名の献呈先にはモンローを記録します。二人の役割は同じではありません。
漢字表記には、中国語圏で公的な直接用例がある四字の蒙羅維亞を暫定採用します。
日本語では「モンロビア」
日本国外務省は、リベリア共和国の首都を**モンロビア(Monrovia)**と記します。同省の略史は、1822年に米国から解放された奴隷の集団が到着し、1824年に首都がモンロビアと名づけられ、1847年にリベリアが独立したと整理しています。
日本の国語辞典・百科事典も、見出しをモンロビアとします。『デジタル大辞泉』は大西洋に面する港湾都市、『世界大百科事典』はリベリアの政治・経済・交通の中心として説明しています。
国立国会図書館サーチで、モンロビア、モンロヴィア、Monrovia、蒙羅維亞、蒙罗维亚などを照合しましたが、日本語資料がこの都市の地名として継続使用した漢字形は特定できませんでした。
書誌検索で見つからないことは、不存在の証明ではありません。画像だけの地図、本文検索できない資料、別の音写には未確認の用例が残る可能性があります。このため、日本語の歴史表記は登録せず、継続調査とします。
国連と台湾外交部の「蒙羅維亞」
国連地名専門家グループの都市データは、Monroviaの国連中国語名を簡体字で蒙罗维亚と登録しています。中華民国外交部のリベリア国情報は、首都を繁体字で蒙羅維亞と記します。
両者は字体が異なるだけで、蒙・羅・維・亞の四字を対応させる同じ音写です。台湾外交部の年鑑では少なくとも1990年代から首都名として確認でき、現在の国情報でも継続して使われています。
本稿は、日本で用いる字体と一致する繁体字形の蒙羅維亞を採ります。これは日本語の歴史表記を復元したものではなく、中国語圏の既存表記を日本語の都市索引へ取り込む暫定判断です。
誰がこの四字を最初に考案したかは確認できませんでした。都市名Monroviaの選定者と、漢字音写の考案者は分けます。
二字・三字へ縮めない
都市篇では二字・三字を主流としますが、短さだけを理由に史料にない表記は作りません。
たとえば蒙羅亞、蒙維亞、羅維亞のように一字を省けば三字になります。しかし、いずれもリベリアの首都を指す地名として、公的資料や日本語資料で直接用例を確認できませんでした。
四字の蒙羅維亞は、国連と台湾外交部が都市名へ直接用いています。一字を落とすには、どの音を省き、その短縮形が地名として通用するのかを示す別の根拠が必要です。
この号では、確認できる四字形を保存します。
1823年の地図で選ばれた名
『African Repository』の1891年記事は、ラトローブの追悼記事として地図命名の経緯を具体的に記しています。アメリカ植民協会の代理人エリ・エアーズの説明から1823年に地図が作られ、ハーパーとラトローブが交互に地名を選んだという内容です。
この記録では、国名Liberiaをハーパー、中心都市名Monroviaをラトローブが選びました。ブッシュロッド島、ストックトン川、エアーズ川にも、協会や植民事業の関係者の名が配されています。
別の協会関係資料は、ハーパーが地図作成者と協力して後に採用された名称を書き込んだと述べます。後世の概説にはハーパー一人がMonroviaも提案したとするものがありますが、役割を一人へまとめるとラトローブを明記する機関誌の記録を落としてしまいます。
本稿では、都市名を選んだ人物としてラトローブを記録し、ハーパーとの共同作業だったことを本文に残します。ただし、これは1823年の地図原稿そのものではなく、関係組織が後年にまとめた記録です。地図原稿や1824年決議の原本との照合は、今後の課題です。
モンローへの献名
Monroviaは、Monroeに都市名を作る接尾辞-viaを加えた形です。日本国外務省、米国務省歴史局、米国議会図書館はいずれも、1824年にジェームズ・モンローにちなみ首都名が定められたと説明しています。
モンローは、米国政府の資金や権限を植民事業へ結び付けるうえで重要な役割を果たしました。米国務省歴史局は、彼が事業のために政府資金を確保したことへの顕彰として名が付けられたと整理しています。
モンローは都市名の献呈先であり、ラトローブは名称の選定者です。知名度の高い献名先だけを見て、命名行為までモンロー本人へ帰すことはできません。
先行名クリストポリス
米国議会図書館のリベリア史年表は、Monroviaへ改称される前の入植地がChristopolisと呼ばれていたと記します。
入植の起点も一つの年だけでは説明できません。1820年に最初の移住団が西アフリカへ向かいましたが、シェルブロ島で疾病による大きな被害を受けました。1821年には現在のリベリア沿岸で土地取得が進められ、1822年にメスラード岬の入植地が形成されました。1823年の地図命名と1824年の正式採用を経て、Monroviaが定着します。
1847年、リベリアは独立共和国となり、モンロビアはその首都になりました。
「自由の国」だけでは語れない成立史
アメリカ植民協会は、米国の自由黒人をアフリカへ移住させる目的で1816年に設立されました。参加者には奴隷制度廃止を目指す人びとも、自由黒人を米国社会から排除して奴隷制度を維持しようとする人びともいました。
米国務省歴史局は、1821年の土地取得で、海軍士官ロバート・ストックトンが現地の統治者に売却を強いたと説明しています。新しい入植地が空白の土地に平穏に置かれたわけではありません。先住社会との土地・統治をめぐる衝突があり、米国の人種差別と奴隷制をめぐる政治も事業の背景にありました。
White House Historical Associationも、植民構想が自由黒人の意見や地域社会への影響を軽視し、米国からの排除を奴隷解放の代替にした側面を指摘しています。
Monroviaという献名を、モンローの善意だけを示す記念名として扱うことはできません。名称は、支援、排除、移住、土地取得が重なった植民事業の記録でもあります。
大西洋岸の首都・港湾都市
モンロビアは、メスラード川河口に近い大西洋岸へ広がります。リベリアの政治・経済・交通の中心であり、港湾は国内外の物流を支えています。
国連地名専門家グループはモンロビアを首都として登録し、国連地図部門による代表座標を北緯6.27132706289度、西経10.7038059421度としています。公式サイトの地図には、小数第六位へ丸めた北緯6.271327度、西経10.703806度を用います。
これは都市を示す代表点です。市役所の位置、市域の重心、港湾施設の中心を精密に示す値ではありません。
2022年の都市人口は1,761,032人
リベリア統計地理情報院の2022年人口・住宅国勢調査は、モンセラード郡の人口を1,920,965人、そのうち都市人口を1,761,032人と集計しています。
この都市人口には、モンロビア市の行政境界だけでなく、郡内で都市と分類された周辺部が含まれます。市役所の管轄人口や、国際機関が独自に区切る大都市圏人口と同じ範囲ではありません。
本誌の一覧では、モンロビアを中心とする都市的地域の規模を示す値として掲載します。人口を比較するときは、2022年という年だけでなく、モンセラード郡都市部という範囲も併記する必要があります。
万国漢字志への取り込み
暫定制定都市名には、四字の蒙羅維亞を採ります。制定区分は創です。
蒙羅維亞は本稿が無から作った字列ではありません。国連の簡体字形と台湾外交部の繁体字形に、都市名としての直接用例があります。
それでも創とするのは、日本語の歴史表記を継承するのではなく、中国語圏の音写を日本語の都市索引へ新たに取り込むためです。創は、この四字を世界で最初に考案したという表示ではありません。
都市名Monroviaの選定者にはジョン・H・B・ラトローブを記録します。献名先はジェームズ・モンロー、地図命名の共同作業者はロバート・グッドロー・ハーパーです。漢字表記の考案者は未確認です。
万国漢字志の暫定案
現代日本語都市名
モンロビア
所属国
リベリア
国連中国語表記
蒙罗维亚
台湾政府表記
蒙羅維亞
暫定制定都市名
蒙羅維亞――創
都市名の選定者
ジョン・H・B・ラトローブ
献名先
ジェームズ・モンロー
制定状態
暫定制定・日本語原典、二字・三字形、漢字表記の初出を継続調査
採らなかった表記と未解決点
三字の蒙羅亞、蒙維亞、羅維亞は、都市名としての直接用例を確認できないため採りません。四字形を機械的に短くしても、新しい表記の根拠にはなりません。
未解決点は、日本語史料における漢字表記、根拠のある二字・三字形、蒙羅維亞の初出と漢字選定者です。
Monroviaの命名についてはラトローブを明記する1891年の協会機関誌を採りましたが、1823年の地図原稿と1824年の決議原本は未照合です。ハーパー単独の提案とする後世の説明との関係も、原史料の比較が必要です。
参考資料
- 外務省「リベリア共和国 基礎データ」
- 小学館・平凡社ほか「モンロビア」
- 国連地名専門家グループ「City Details - Monrovia」
- 中華民国外交部「賴比瑞亞共和國」
- リベリア統計地理情報院『2022 Liberia Population and Housing Census: Final Results』
- 米国議会図書館「History of Liberia: 1820 to 1847」
- 米国務省歴史局「Founding of Liberia, 1847」
- White House Historical Association「The American Colonization Society」
- 『African Repository』第67巻第4号、1891年「John H. B. Latrobe, Esq.」
- 米国議会図書館所蔵『Liberia』
- 国立国会図書館サーチ
編纂綱領と公式サイト
本稿は万国漢字志 編纂綱領に基づいて調査・選定しています。
都市一覧は万国漢字志 公式サイトで公開します。
次回予告|都市篇 第六十六号
次は、アビジャンです。
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