川へ突き出す小さな村
都市篇第五十一号は、セネガル南部の村、ポワント・サン=ジョルジュです。
村はカザマンス川の左岸、マングローブと水田が接する場所にあります。行政上はジガンショール州ウスイ県ルディア・ウォロフ郡、ムロンプ・コミューンに属します。
セネガルの公式資料はPOINTE SAINT GEORGES、地理データはPointe St-Georgesと記します。十九世紀史を扱う学術書には、住民が用いた別名としてPuntaも現れます。
フランス語名をそのまま意味に置き換えれば、「聖ジョルジュの岬」です。しかし、その漢字形が日本語や中国語でこの村に使われた証拠はありません。今回は、現在名、旧称、創建史を分けて確認してから、本誌独自の三字案を組みます。
日本語名は本シリーズの表記
今回確認した日本の政府機関、図書館、研究機関の公開資料では、セネガルのPointe Saint-Georgesを直接指す確立した日本語名を確認できませんでした。
検索上はポワント・サン・ジョルジュという表記が一例見つかりますが、個人による創作作品の題名であり、地名資料や現地報告ではありません。日本語の公的用例や地理学上の標準を示す根拠には使いません。
本稿のポワント・サン=ジョルジュは、フランス語のPointeとSaint-Georgesを区切って示すため、本シリーズが置く現代日本語表記です。既に広く定着した日本語外名だとは主張しません。
国立国会図書館サーチを含む今回の公開資料調査では、この村を指す日本語の歴史的漢字表記も確認できませんでした。未確認は不存在の証明ではないため、歴史表記は空欄のまま継続調査とします。
公式地図ではPointe St-Georges
セネガル国土整備庁の公式KMLは、Pointe St-Georgesを村に分類し、北緯12.63170302563318度、西経16.55965425145367度に点を置いています。
本稿では小数第六位へ丸め、北緯12.631703度、西経16.559654度を都市一覧に使います。これは集落の代表点であり、川へ張り出した地形全体の先端や、マナティー観察所の位置を示すものではありません。
2024年の選挙資料も、ウスイ県、ムロンプ・コミューンの投票地点としてPOINTE SAINT GEORGESを掲載しています。学校名では短縮形のPOINTE ST-GEORGESも併記されます。
ポワント・サン=ジョルジュは、セネガル共和国の首都、州都、県都ではありません。国の首都はダカール、州都はジガンショール、県都はウスイです。十九世紀の交易拠点だったことと、現在の行政上の首都であることは別です。
2023年国勢調査で128人
セネガル国家統計・人口経済分析庁(ANSD)の2023年国勢調査は、POINTE SAINT GEORGESを一つの集落行として収録しています。
人口は128人です。内訳は男性61人、女性67人、25世帯、23コンセッションです。行政階層も、ジガンショール州、ウスイ県、ルディア・ウォロフ郡、ムロンプ・コミューンと確認できます。
地域の観光サイトには「約200人」という案内がありますが、概数の時点と範囲が明記されていません。都市一覧には、調査年と集計単位を確認できる2023年国勢調査の128人を採ります。
ベルトラン=ボカンデとドミンガ・ロペス
歴史学者ロバート・M・バウムは『Shrines of the Slave Trade』147〜149頁で、ポワント・サン=ジョルジュの村が1850年代半ば、フランス人商人・行政官のエマニュエル・ベルトラン=ボカンデと、ルソ・アフリカ系のドミンガ・ロペスによって築かれたと記しています。
ベルトラン=ボカンデは、ジョラの主要集落へ行きやすく、農業用地も得られる交易所の場所としてこの土地を選びました。カラバネでの職務が多かった彼に代わり、ロペスが集落の指導者となり、少なくとも1886年までその役割を担ったとされます。
バウムの記述では、現在の住民は初期の村を「女性が村と土地を指揮した」時代として語ります。フランス人とルソ・アフリカ系の交易者が築いた村には、ジョラ、マンジャク、ウォロフ、マンディンカの住民も加わりました。
1857年にはティオンク・エシルから攻撃を受け、ロペスと息子を含む住民が連れ去られました。その後、1860年6月17日付の条約でポワント・サン=ジョルジュのフランスへの譲渡が記録されています。
この歴史には、交易だけでなく、植民地拡張と奴隷制の問題も含まれます。ベルトラン=ボカンデ自身も奴隷保有を疑われ、カラバネは大西洋奴隷貿易末期の拠点の一つでした。村の創建を単純な開拓美談にはしません。
創建者と命名者は同じとは限らない
バウムは村の創建者をベルトラン=ボカンデとドミンガ・ロペスと明記します。一方、Pointe Saint-Georgesという名称を誰が最初に定めたかまでは特定していません。
地域の観光サイトは、Pointeが突端を、Saint-Georgesが聖人ジョルジュを指し、フランス植民地期に生まれた可能性が高いと説明します。しかし、「可能性が高い」という現代の説明であり、命名時の記録そのものではありません。
十九世紀の住民が用いたPuntaは、ポルトガル語やクレオール語圏の「岬・突端」に通じる形です。ただし、Puntaが現在名より古い固有名なのか、同じ地形を指す日常的な呼称なのかは、公開資料だけでは決着しません。
創建に関わった著名人物は本文に残しますが、都市名の命名者としては登録しません。ベルトラン=ボカンデかロペスがSaint-Georgesを選んだという直接史料が確認できた場合に、改めて検討します。
マナティーと共同体保全
ポワント・サン=ジョルジュは、西アフリカマナティーを観察できる場所として知られます。
2008年の現地調査報告は、村の正面に淡水が湧く場所があり、干潮時にマナティーが近づくと住民が語っていることを記録しました。調査は、観察の機会だけでなく、漁業圧力、偶発捕獲、生息環境の変化も扱っています。
ムロンプの共同体保全地域を論じた報告によれば、保護地域づくりは2004年に始まり、2006年にはポワント・サン=ジョルジュ、ジロマイト、プティット・ポワントを含む区域について設置決議が行われました。その後、面積や対象村をめぐる調整が続きました。
したがって、「保護区ができて問題が解決した」とは言えません。マナティーの存在、住民による監視、漁業資源の回復、法的な承認範囲が重なる、継続中の共同管理として捉えます。
現在は、川辺の観察所や森の大木に設けた展望台を生かした地域観光も行われています。観光案内は村の特色を知る手がかりになりますが、野生動物を必ず観察できるという保証には使いません。
中国語の直接用例も確認できない
中国語の政府機関、通信社、大学、図書館・用語機関を対象に、Pointe Saint-Georgesとセネガル、カザマンスを組み合わせて調べました。しかし、この村を直接指す信頼できる中国語地名は確認できませんでした。
圣乔治角という形は、英語圏のCape St Georgeなど、別の場所や海戦を指す中国語用例があります。文字の意味が一致しても、それだけでセネガルの村の既存中国語名にはできません。
簡体字と繁体字の候補をタイトルから機械的に作り、既存形として扱うことはしません。採用する漢字は、万国漢字志が新たに組んだ案であることを明記します。
二字・三字案を比較する
聖喬治岬
四文字です。Saintを聖、Georgesを中国語音訳で広く使われる喬治、Pointeを日本語の岬に対応させます。現在名の構造を最も保ちますが、対象村を指す直接用例は確認できません。
聖喬岬
三文字です。聖人名の喬治を喬へ縮め、SaintとPointeに当たる聖と岬を残します。二字・三字を主流とする都市索引に収まりますが、既存の略称ではなく、本誌による造語です。
喬治岬
三文字です。GeorgesとPointeの対応は明確ですが、Saintに当たる要素が消えます。現在名の宗教的な部分を黙って落とすため採りません。
品塔
二文字です。十九世紀の呼称Puntaを音で写す案ですが、現在のPointe Saint-Georgesではなく、旧称または日常呼称を見出しにすることになります。史料に漢字形があるわけでもありません。
今回は、現在名の三要素を圧縮して残す聖喬岬を選びます。
万国漢字志への取り込み
暫定制定都市名には、三字の聖喬岬を採ります。
制定区分は創です。日本語の歴史的漢字名を復元したものでも、中国語圏の既存表記を採録したものでもありません。フランス語名の構造をもとに、万国漢字志が日本語都市索引のため新たに組む暫定案です。
三字への短縮では、Saintを聖、Georgesを喬、Pointeを岬として残しました。喬だけでジョルジュを表す既存の対象用例はないため、一般的な略記だとは主張しません。
聖喬岬を選んだ主体は万国漢字志ですが、特定の一個人を漢字表記の命名者として登録しません。既存の直接用例が見つかった場合は、制定形と区分を再検討します。
万国漢字志の暫定案
本稿で用いる都市名
ポワント・サン=ジョルジュ
所属国
セネガル
十九世紀の別称
Punta
暫定制定都市名
聖喬岬――創
制定状態
暫定制定・日本語原典、中国語直接用例、現在名の命名記録を継続調査
採らなかった表記と未解決点
四字の聖喬治岬は現在名の構造を最もよく保ちますが、都市索引の主流を三字に置くため比較形としました。三字の喬治岬はSaintを落とし、二字の品塔は旧称Puntaを現在名より優先するため採りません。
未解決点は、日本語の歴史的漢字表記、中国語の直接用例、PuntaとPointe Saint-Georgesの前後関係、Saint-Georgesを選んだ命名者と命名時期です。
創建者はベルトラン=ボカンデとドミンガ・ロペスとして学術資料に明記されています。しかし、都市名の命名者は未確認です。両者を同じ欄へまとめません。
人口128人は2023年国勢調査の集落行です。座標は公式KMLの村落点であり、同名の岬地形や観察施設の点ではありません。
参考資料
- セネガル国家統計・人口経済分析庁「RGPH-5 2023 POINTE SAINT GEORGES」
- セネガル国土整備庁「Ziguinchor ND-28-II」公式地理データ
- セネガル国土整備庁「Ziguinchor ND-28-II」KML
- セネガル内務省『Carte électorale 2024』
- Robert M. Baum『Shrines of the Slave Trade: Diola Religion and Society in Precolonial Senegambia』
- フランス条約集総索引「1860年6月17日 Casamance: Cession de la pointe Saint-Georges」
- Marie-Christine Cormier-Salem『Rives et dérives : en quête des mangroves』
- Ismaïla Ndour「Suivi scientifique d'une famille de lamantin à Pointe Saint-Georges」
- RAMPAO『Itinéraires de création d'aires marines protégées en Afrique de l'Ouest』
- Stevie Arnaud Frédéric Manga『Les mutations de la gestion foncière dans la commune de Mlomp』
- Village de Pointe Saint-Georges「Origine du nom du village」
- 外務省「セネガル共和国基礎データ」
編纂綱領と公式サイト
本稿は万国漢字志 編纂綱領に基づいて調査・選定しています。
都市一覧は万国漢字志 公式サイトで公開します。
次回予告|都市篇 第五十二号
次は、サマティットです。
十九世紀半ばの条約にも名が残るムロンプ・コミューンの村をたどり、現在の綴りと漢字表記を調べます。
