万国漢字志

都市篇 · セネガル

万国漢字志 都市篇 第五十二号|サマティット――条約の「Samatite」から三字「薩馬特」へ

サマティットはセネガル南部、カザマンス川左岸の村。伝統王国の名を伝え、1851年にフランスとの条約へSamatiteとして記録された。

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川辺の村に二つの綴りが残る

都市篇第五十二号は、セネガル南部の村、サマティットです。

村はカザマンス川左岸、前号のポワント・サン=ジョルジュから南西へ進んだムロンプ・コミューンにあります。現代の公式地理データはSamatit、2023年国勢調査はSAMATITEと記します。

末尾にeがあるかないかだけで、別の村を指すわけではありません。十九世紀の条約目録にもSamatiteが現れます。本稿では綴りの違いを消さず、同じ村の現代記録と歴史記録として扱います。

日本語や中国語でこの村を指す既存漢字名は確認できませんでした。そこで、村の歴史を先に確かめ、最後に本誌独自の三字案を組みます。


日本語名は本シリーズの表記

国立国会図書館サーチでSamatit、Samatite、サマティットを確認しましたが、このセネガルの村を扱う日本語資料は見つかりませんでした。検索結果に現れない資料や、画像だけで収録された資料までは否定できません。

GeoNamesには日本語別名としてサマティが登録されています。ただし、出典となる日本語文献は示されていません。人が使ってきた日本語地名の証拠ではなく、多言語地名データベース上の別名として記録します。

本稿のサマティットは、Samatitの末尾子音を落とさず示すために本シリーズが置く表記です。広く定着した日本語名だとは主張しません。

日本語の歴史的漢字表記も確認できないため、歴史表記欄は未記入とします。これは「漢字表記が存在しなかった」という結論ではなく、採録できる原典が現在ないという記録です。


公式地図のSamatit

セネガル国土整備庁の公式KMLは、Samatitを村に分類し、北緯12.53527266134365度、西経16.63882121982459度に点を置いています。

都市一覧では小数第六位へ丸め、北緯12.535273度、西経16.638821度を用います。縮尺20万分の1の地理データに置かれた集落代表点であり、家屋や村界を測量した値ではありません。

行政上はジガンショール州ウスイ県ルディア・ウォロフ郡、ムロンプ・コミューンに属します。公式KMLが示す区分は村です。セネガルの首都はダカールであり、サマティットは国・州・県・郡・コミューンの行政首都ではありません。


2023年国勢調査で157人

セネガル国家統計・人口経済分析庁(ANSD)の2023年国勢調査は、SAMATITEを一つの集落行として収録しています。

人口は157人です。内訳は男性79人、女性78人、44世帯、40コンセッションです。行政階層も、ジガンショール州、ウスイ県、ルディア・ウォロフ郡、ムロンプ・コミューンと確認できます。

過去の紹介記事には2002年の270人という数値もあります。しかし、都市一覧では調査年と集計項目を直接確認できる2023年国勢調査の157人を採ります。二つの数値の差だけから、人口減少の原因までは推定しません。


アラメからブユイエを経た創建伝承

歴史学者フィリップ・メゲルは、ロバート・M・バウムの調査を引きながら、サマティットの創建者集団に関する伝承を紹介しています。

それによると、村を築いたジョラの人々は軍事的敗北のあと、エディアマット地方の現在のバヨット村アラメ付近にあった祖先の土地を離れました。いったんブユイエへ逃れ、その後カザマンス川沿いへ移住したとされます。

これは口承をもとに再構成された移住史であり、創建年を記した同時代文書ではありません。また、個人名を挙げた創建者名簿でもありません。本稿は移住経路の伝承として紹介し、特定人物を創建者や都市名の命名者にしません。


五つの伝統王国の一つ

ムロンプ・コミューンの植物利用を調査した研究は、地域を慣習上、カジノル、ムロンプ、エルディア、カニョウト、サマティットの五つの王国に分けています。王は共同体の結束と平和を守る役割を持つと説明されます。

ここでいう王国は、現在のセネガル行政区分とは別の伝統的・儀礼的な枠組みです。サマティットが独立国家の首都だという意味ではありません。

国立人口研究所の調査資料は、ジョラ・エスラル社会の成人儀礼ブクットが複数の村を一定の順序で巡ることを記します。サマティットはジコモル、ハエル、エテベマイ、カニョウト、エルディアと同じ組に入り、20世紀には1932年と1962年の実施記録があります。

村の規模が157人であっても、地域文化の単位としての位置づけは人口だけでは測れません。


1851年3月25日の条約

フランス海外領土公文書館の条約目録には、1851年3月25日、エリンキンで結ばれたサマティットとの条約が登録されています。

目録上の件名は、フランス西アフリカ沿岸艦隊司令官シャルル・ペノーと、Samatiteの首長たちとの条約です。内容はフランスの宗主権に関するもので、署名者としてSicobitoとDiatiが記録されています。

同じ日にカニョウトの首長たちとの別条約も結ばれました。後世の研究書は、これらをフランスがカザマンス河口域で権利を拡大した過程に位置づけています。

条約に名前があることと、当事者が対等な条件で近代国家間条約を結んだことは同じではありません。本稿では植民地側の目録語である「宗主権」をそのまま示し、単純な友好物語には置き換えません。

SicobitoとDiatiは条約署名者として確認できますが、Samatitという地名や漢字名の命名者ではありません。


地名の意味と命名者は未確定

今回確認した地理資料、国勢調査、歴史研究、条約目録は、SamatitまたはSamatiteという綴りを示します。しかし、この語を要素に分けた現地語の意味や、誰が名づけたかは説明していません。

創建者集団の移住伝承、十九世紀の首長、フランス側の条約締結者は、それぞれ確認できる役割が違います。地名の命名記録がない以上、いずれも地名の命名者とは扱いません。

漢字表記についても、日本語史料、中国語の政府・大学・主要報道機関でこの村を直接指す形は確認できませんでした。検索で見つかる同音の人名や別地域名は対象外です。


二文字・三文字案の比較

薩馬蒂特

四文字です。Samatitを薩・馬・蒂・特へ分けた完全音写案で、音の要素を最も多く残します。ただし、この村を指す中国語用例ではなく、本誌が比較のために組んだ形です。

薩馬特

三文字です。冒頭のSaを薩、Maを馬、末尾のtitを特へまとめます。中間のtiを一字として独立させないため完全音写ではありませんが、三字の索引名として原綴りの始まりと終わりを保ちます。

佐摩地

三文字です。日本語の音に寄せて佐・摩・地を当てます。しかし、地は通常「ち」または「じ」と読まれ、サマティットの末尾音を十分に残しません。対象用例もありません。

薩邑

二文字です。薩でSaを、邑で村を示す意味音混合案ですが、Samatitの大部分を落とします。短さを優先しすぎるため採りません。

今回は、三字で音の骨格を残す薩馬特を選びます。


万国漢字志への取り込み

暫定制定都市名には、三字の薩馬特を採ります。

制定区分は創です。日本語の歴史的漢字名を復元したものでも、中国語圏の既存表記を取り込んだものでもありません。Samatitの音を三字へ圧縮して、万国漢字志が新たに組んだ暫定案です。

薩馬特を選んだ主体は万国漢字志ですが、特定の一個人を漢字表記の命名者として登録しません。既存の直接用例または現地語の確かな語源資料が見つかった場合は、制定形と区分を再検討します。


万国漢字志の暫定案

本稿で用いる都市名
サマティット

所属国
セネガル

公式資料で確認した綴り
Samatit/Samatite

暫定制定都市名
薩馬特――創

制定状態
暫定制定・日本語原典、中国語直接用例、現地語の語源、命名者を継続調査


採らなかった表記と未解決点

四字の薩馬蒂特は音を詳しく残しますが、二字・三字を主流とする都市索引には長いため比較形としました。三字の佐摩地は日本語の音へ寄せる一方で末尾が曖昧です。二字の薩邑は短縮幅が大きすぎます。

未解決点は、日本語の歴史的漢字表記、中国語の直接用例、Samatitの現地語での意味、地名の命名者、創建時期です。

1851年条約のSicobitoとDiatiは署名者として確認できます。創建伝承は集団の移住経路を示します。しかし、どちらも地名や漢字表記の命名者を示す証拠ではありません。


参考資料


編纂綱領と公式サイト

本稿は万国漢字志 編纂綱領に基づいて調査・選定しています。

都市一覧は万国漢字志 公式サイトで公開します。


次回予告|都市篇 第五十三号

次は、カニョウトです。

サマティットと同じ日に条約へ名を残した村をたどり、Kagnoutという綴りと漢字表記を調べます。