二つの看板に現れる都市名
在シドニー日本国総領事館のサイトには、英語のSydneyと日本語のシドニーが並びます。同じ都市に置かれた中国の総領事館は悉尼、台湾の外交部領事事務局の館別案内は**雪梨(Sydney)**と記しています。
漢字だけを見ると、二つの別の土地のようにも見えます。けれども、雪梨の案内には英語名が添えられ、悉尼の総領事館にも英語版があります。表記の違いは、都市そのものが二つあることを意味しません。
今回は、現代中国語の既存漢字名を、日本語のシドニーに対応させて採れるかを考えます。本誌の暫定案は悉尼(シドニー)。字ごとの日本語音を組み立てた新作ではなく、実在する漢字形を採る案です。
人口の「シドニー」はどの範囲か
豪州統計局ABSの2021年国勢調査には、見出しがどちらもSydneyという二つのページがあります。都市域のUCL101001は4,698,656人、地方自治体のLGA17200は211,632人です。同じ年、同じ名前でも、数えている区域が違います。
本稿では前者を使います。UCLはUrban Centres and Localitiesという地理区分で、ABSは市街地の連なりなどをもとに都市域を組み立てています。自治体境界にそのまま従う区分ではありません。したがって469万人余りを「シドニー市役所が管轄する人口」と説明するのは適切ではありません。
本稿の人口は2021年のSydney都市域、通常居住地に基づく国勢調査人口です。Greater Sydneyという別の統計区域や、年次の推計人口とも混ぜません。現在人口の断定でもありません。
なお、ABSの2025年6月30日推計では、SydneyのSUA(Significant Urban Area、2021年境界・区域コード1031)は5,219,674人です。この暫定推計も人口10万人以上という収録条件を満たしますが、本稿の2021年UCL人口とは年・区域・集計方法が異なります。二つの差を、そのまま同じ都市域の人口増加とは読めません。
地図の索引点にはGeoNamesのSydney、識別子2147714の南緯33.86785度・東経151.20732度を使います。ニューサウスウェールズ州の州都を示す地名レコードですが、都市域の重心や公式の市中心と確認した座標ではありません。同ページの人口値は使いません。なお、オーストラリアの国の首都は外務省基礎データが記すキャンベラです。
歴史表記は、索引から原頁へ
国立公文書館アジア歴史資料センターの「シドニー」という検索用語項目は、検索結果の索引文にSidney/悉土尼/悉尼/悉徳尼を掲げています。三字の形も、悉尼という二字の形も、歴史資料を探す入口になります。
ただし、今回その項目の直接取得は403で失敗し、対応する史料画像の該当頁までたどれていません。索引に並ぶ字形を、特定の時代の原史料で実見した用例として紹介することはできません。とくに徳と德の原字形、使用年、前後の文脈、振り仮名は未確認です。
この段階で悉徳尼を「明治以来の標準」、悉尼を「日本の伝統表記」とは決めません。索引は調査の道案内として残し、歴史的用例の認定は原頁の確認を待ちます。確認できなかったことは、昔の日本語に漢字表記がなかったという意味でもありません。
現代の「悉尼」と「雪梨」
中国の在シドニー総領事館は、自らの中国語名称に悉尼を用いています。台湾の外交部領事事務局は、館の所在地を雪梨(Sydney)、館名を駐雪梨台北經濟文化辦事處、英語名をTaipei Economic and Cultural Office in Sydneyと記しています。どちらも、現在の使用主体が公開する用例です。
ここから確かめられるのは、二つの漢字形が現代の公的な案内に使われていることです。どちらが先か、誰が考案したか、どの地方の発音を経たかは、この二つのページだけでは分かりません。「雪梨は果物が名物だから」と字義から由来を作ることもしません。
日本語名は、在シドニー日本国総領事館のシドニーを基準にします。これは本誌が綴りだけから作った仮名ではありません。一方、中国語の漢字名が同じ都市を指すことと、その各字を日本語で読めばシドニーになることは、別の問題です。
二文字・三文字案の比較
悉尼――既存の二字を採る
現在の公的用例を直接確認できる二字形です。ただし漢字ペディアの一字項目では、悉の音はシツ、尼にはニが載ります。そこから機械的にシドニーが得られるわけではありません。悉に「シド」という字音がある、と説明することは避けます。
本誌で用いるときは、悉尼という地名全体にシドニーという日本語の読みを添える約束にします。既存の漢字形を残せる利点を評価しますが、日本語の一般的な読みとして定着済みだという主張はしません。
雪梨――もう一つの既存二字形
こちらも新案ではなく、台湾の公的案内で確認できる既存表記です。字面を見てすぐにシドニーという日本語名へ結び付けられるとは限らず、採用するならやはり読みの併記が要ります。
悉尼を選ぶことは雪梨を誤訳とすることではありません。今回の暫定案では、中国の総領事館が現用する二字形を採り、雪梨は別の使用主体による対応名として併記します。歴史の古さや音の優劣を決着させた選択ではありません。
志土尼――日本語の音を分ける創案
比較のため、本誌の新案として志土尼も置きます。漢字ペディアで確認できる志のシ、土のド、尼のニを並べる三字案です。字音を並べたままではシドニで、末尾の長音は表せません。シドニーと読む指定を別に添える必要があります。
この案は日本語の各音への手掛かりを持ちますが、都市名としての先行用例は確認していません。区分は創であり、悉土尼の原字を確認して改めた案ではないため、改にはしません。志や土の意味を都市の性格・地形・命名由来と結び付ける意図もありません。
音を分解する新案にも利点はあります。今回は、読みの指定が必要なことを明記したうえで、既存用例との対応を優先して悉尼を採ります。
万国漢字志の暫定案
現代日本語都市名
シドニー
原綴り・所属国
Sydney/オーストラリア
中国の公的現用例
悉尼
台湾の公的現用例
雪梨
暫定制定都市名
悉尼
読みシドニー
制定区分悉尼――既
制定状態暫定制定・原典継続調査
「既」は、現代中国語の既存表記を採用するという意味です。日本語で広く定着した伝統表記を意味する「伝」でも、歴史的原頁で確認したことを示す「史」でもありません。漢字の命名者と一字略称は設けません。
採らなかった表記と未解決点
雪梨は、現在も公的案内に使われる対応名として残します。志土尼は日本語の音を分ける比較案にとどめます。悉土尼・悉徳尼は索引の先を調べ、原頁の字形と読みを確かめてから改めて比較する候補です。
二つの中国語形の初出・命名者・伝来経路、日本語での各漢字形の使用年代と普及範囲は、継続調査とします。本稿では、それらを推測で埋めず、いま誰がどの字を使っているかを暫定案の根拠にしました。
都市の名前には、使う言語や機関によって異なる姿があります。人口を読むときには区域を、漢字を選ぶときには用例の主体と読みを添える。シドニーという一つの名にも、その二つの照合が必要でした。
参考資料
- ABS「Sydney, 2021 Census All persons QuickStats」都市域UCL101001。人口4,698,656人、通常居住地による集計。
- ABS「Regional population 2024–25」データキューブTable 2。2025年6月30日のSydney SUA1031、5,219,674人。2021年境界による暫定推計で、上記UCLの国勢調査人口とは区別。
- ABS「Sydney, 2021 Census All persons QuickStats」自治体LGA17200。同名の異なる統計範囲との比較。
- ABS「Urban Centres and Localities」ASGS Edition 3。2021年人口に対応する都市域区分の説明。
- 在シドニー日本国総領事館。現代日本語名とSydneyの対応。
- 中華人民共和国駐悉尼総領事館・中国語サイト。悉尼の公的現用例。
- 台湾・外交部領事事務局「駐館位置及聯絡資訊」雪梨。雪梨とSydneyの対応を明記。
- アジア歴史資料センター「シドニー」検索用語項目。検索索引の確認に限定。歴史的原頁は未確認。
- 日本漢字能力検定協会・漢字ペディア「悉」「尼」「志」「土」。各字の日本語音を確認。都市名の先例を証明する資料ではない。
- GeoNames「Sydney」2147714。州都の地名索引点。© GeoNames、CC BY 4.0。
- 外務省「オーストラリア基礎データ」。国の首都キャンベラ。
(2026年10月25日調査。)
編纂綱領と公式サイト
本稿は万国漢字志 編纂綱領に基づいて調査・選定しています。
都市一覧は万国漢字志 公式サイトで公開します。
次回予告|都市篇 第百三十号
オセアニアの人口10万人以上の都市を対象に、漢字表記と日本語名の対応を引き続き調べる予定です。次に扱う都市と掲載順は、人口の統計範囲と既刊との重複を照合してから決めます。
