Thionck EssylとTionk Essil
都市篇第六十一号は、セネガル南部のコミューン、ティオンク・エシルです。
セネガル国家統計・人口経済分析庁(ANSD)は、2023年国勢調査でTHIONCK ESSYLと記します。1990年の官報も、コミューンを設置した政令の中でThionck-Essylを用いています。
一方、セネガル国土整備庁(ANAT)の地図名はTionk Essilです。歴史学者ロバート・M・バウムが引用する十九世紀資料にもThionk Essilが現れます。
本稿では現行の公的表記に近いThionck Essylを見出しに採り、日本語ではティオンク・エシルとします。ただし、Thionk EssilからThionck Essylへの綴りの変更を説明する行政資料や、二つの綴りを明示的に対照した公的記録は確認できていません。
歴史記録と現代自治体の位置、綴り、地域関係は強く対応しますが、綴りの近さだけを完全な同一性の証明にはしません。
日本語名は本誌の表記
日本語ウェブ検索では、建築賞やジョラ諸語を紹介する百科事典系ページにティオンク・エシルやティオンク=エシルというカタカナ表記が見られます。しかし、いずれも日本の政府機関や地名辞典による標準化を示す資料ではありません。
ただし、日本語の政府機関、図書館、地名資料を調べた範囲では、この都市を直接指す歴史的な漢字表記を確認できませんでした。国立国会図書館サーチでも、ティオンク・エシル、Thionck Essyl、Tionk Essilに対応する漢字地名の原典は見つかっていません。
したがって、歴史的な日本語漢字表記は未確認とし、歴史表記欄は空欄のままとします。未確認は不存在の証明ではありません。
本稿のティオンク・エシルは、これらの検索例と現行綴りを踏まえて本誌が採る表記です。現地語の全音価を確定した日本語標準名だとは主張しません。
公式地図ではコミューン
ANATの縮尺20万分の1地図は、Tionk EssilをCommuneに分類しています。代表点は北緯12.78425025203265度、西経16.50530268173113度です。
都市一覧には小数第六位へ丸めた北緯12.784250度、西経16.505303度を採ります。この点は自治体を示す代表位置であり、市域の境界や市庁舎の入口を精密に示すものではありません。
セネガル国立地図局の測地標識票にもTionk Essilの名があり、北緯12度46分58.3932秒、西経16度30分20.2966秒の測地標識を記録しています。ANATの代表点と完全には一致しませんが、同じ市街域を示す独立した公的資料です。
ティオンク・エシルはセネガルの首都ではありません。国の首都はダカールです。
2023年人口は8,961人
ANSDの2023年国勢調査は、THIONCK ESSYLを四つの地区に分けています。
- BATINE――2,050人
- DAGA――2,652人
- KAMANAR――1,653人
- NIAGANANE――2,606人
合計は8,961人です。男性4,553人、女性4,408人、1,315世帯、934コンセッションと集計されています。
本稿の人口値は四地区を合計したコミューン全体です。一地区だけの値でも、周辺農村やビニョナ県全体を含む値でもありません。
民間団体や言語紹介には、約1万5千人、約1万6千人など、これより大きな推計も見られます。調査年、住民登録、移住者を含む範囲が異なる可能性があるため、本稿では地区別内訳を確認できる2023年国勢調査の8,961人を採ります。
1990年にコミューンとなった
セネガル官報第5373号は、1990年10月8日付政令第90-1135号を収録しています。政令は、Thionck-Essylを含む九つのコミューンを設置しました。
これは集落が1990年に初めて生まれたという意味ではありません。後に見るとおり、Thionk Essilの名は十九世紀の記録に現れます。1990年は、現代行政上のコミューンとして制度化された年です。
2021年の領域区分を定めた官報でも、ビニョナ県のコミューンとしてBignonaとThionck-Essylが掲げられています。歴史的集落、1990年の市制、現在の行政単位を一つの「創設年」にまとめないようにします。
1849年にはThionk Essilが記録される
バウムの『Shrines of the Slave Trade』は、フランス側の記録と現地聞き取りをもとに、十九世紀のThionk Essilを周辺集落との衝突の中で記します。
1849年12月のフランス記録では、エリンキンがThionk Essilから来た襲撃者を退けたとされます。1857年には、Thionk Essilからの襲撃者がDjeromaitとポワント・サン=ジョルジュを攻撃したと記録されています。
さらに1860年、フランス軍人ピネ=ラプラードは、フランス人と同盟者への攻撃に対する報復としてKaronesとThionk Essilを攻撃しました。
これらは植民地側の記録と、それを検討したバウムの記述です。襲撃の当事者数、目的、被害の全体像を、フランス側の語りだけで確定することはできません。
また、十九世紀のThionk Essilと現在のコミューンの連続性は有力でも、本稿で確認できた資料に行政上の対照表はありません。現在の住民を十九世紀の襲撃行為と直接結びつける読み方はしません。
Essilから北岸へ移ったという伝承
グシライ語の教育サイトは、ティオンク・エシルで主に話される言語をgusiilaayと紹介しています。
同サイトは起源について複数の説があると断ったうえで、住民の祖先がBandial、別名Mof Avi地域のEssilに由来する可能性を挙げます。およそ500年前、一部の家族がカザマンス川北岸へ移り、現在のティオンク・エシル付近へ定住したという説明です。
言語学資料にも、Essilの人びとが自言語をgusiilaayと呼ぶこと、Tionk Essilの住民の祖先とEssilを結ぶ伝承が記録されています。
これは都市名全体の語源を確定する資料ではありません。Essilとの結びつきは説明できますが、ThionckまたはTionkの部分を誰が、いつ、どのような意味で付けたかは未確定です。
旅行案内には、地名を「しゃがんだまま料理する」と説明する例があります。しかし、今回確認できた言語資料からその語構成を再検証できなかったため、確定語源には採りません。
水田とマングローブの地域
ティオンク・エシルは、カザマンスのマングローブと水田の地域にあります。民間団体の地域紹介でも、市域がBatine、Daga、Kamanar、Niagananeの四地区から成ることが説明され、2023年国勢調査の区分と対応します。
農村開発研究では、ティオンク・エシルの水田を対象に、1954年から1969年までの耕作地変化が分析されています。後年の研究は、降雨不足、塩害、酸性化、砂の堆積がカザマンスの水田へ及ぼした影響を論じています。
これらは特定期間の土地利用研究です。現在の水田面積や生産量をそのまま示す数値としては使いません。一方で、都市を道路と建物だけでなく、水田、マングローブ、水路を含む生活圏として捉える資料になります。
中国語の直接漢字用例は未確認
中国語圏の政府機関、主要報道、大学、地名資料を、Thionck Essyl、Tionk Essil、セネガル、ジガンショールと組み合わせて調べました。
中国語表示の地図・天気サービスには、国名を漢字で示しながら都市名をTionk Essilのラテン文字のまま置く例があります。しかし、これは都市の漢字表記ではありません。
この都市を直接指す、信頼できる中国語の漢字音訳は確認できませんでした。検索用に組める文字列と、公的機関や辞書が実際に採用した地名は区別します。
以下の候補はすべて万国漢字志が比較のために組んだ案であり、日本語の歴史表記でも、中国語圏の既成地名でもありません。
二字・三字案を比較する
提翁瑟
三文字です。提をティ、翁をオン、瑟をエシルの末尾側に対応させます。ティオンとシルの輪郭を三字に圧縮できます。
一方、Thionck末尾のクとEssyl冒頭のエを独立した字では示しません。提、翁、瑟の字義は、都市の語源、住民、歴史を説明するものではありません。
提瑟
二文字です。ティとシルの両端だけを残しますが、オンとクを落とすため、原名へ戻る手掛かりが弱すぎます。
提翁久
三文字でThionck側のティ・オン・クを写せます。しかしEssylを丸ごと失います。二つの要素を持つ現行名を、前半だけの都市名へ変えるため採りません。
提翁久瑟
四文字なら、ティ・オン・クとEssylの末尾をより多く残せます。ただし、二字・三字を主流とする都市索引には長く、瑟一字でEssylを圧縮する弱点も解消しません。
今回は、二つの名前要素の輪郭を三字に残す提翁瑟を採ります。完全な音写ではなく、ティオンク・エシルを三字へ圧縮した本誌独自の案です。
万国漢字志への取り込み
暫定制定都市名には、三字の提翁瑟を採ります。制定区分は創です。
日本語の歴史的漢字表記を復元したものでも、中国語圏の公的表記を借りたものでもありません。カタカナ用例とThionck Essyl、Tionk Essilの綴りを起点に、万国漢字志が作った索引形です。
地名の語源と命名者は未確定です。Essilから北岸へ移ったという伝承と、Thionck Essylという都市名全体の成立は同じではありません。提翁瑟の字義で、その空白を埋めません。
今後、グシライ語による地名分析、日本語原典、中国語の直接用例、十九世紀と現代の綴りを結ぶ行政記録が確認できた場合には、カタカナ名、制定形、区分を再検討します。
万国漢字志の暫定案
本稿で用いる都市名
ティオンク・エシル
所属国
セネガル
現代・歴史資料で確認した綴り
Thionck Essyl/Thionck-Essyl/Tionk Essil/Thionk Essil
歴史的な日本語漢字表記
未確認
信頼できる中国語の地名直接用例
未確認
都市の起源
Essilからカザマンス川北岸へ移った家族に由来するという伝承(移住時期は約500年前とされるが、正確な年と創設者名は未確定)
地名の語源・命名者
未確定
暫定制定都市名
提翁瑟――創
制定状態
暫定制定・現地語の地名分析、日本語原典、中国語の直接用例、命名記録、歴史綴りの行政対照を継続調査
採らなかった表記と未解決点
提瑟は二字ですが中間音を落としすぎます。提翁久はThionck側だけを残し、Essylを失います。提翁久瑟は四字になってもEssylを一字へ圧縮する問題が残ります。
採用した提翁瑟にも、クとエを独立して示さず、瑟へEssylを圧縮する弱点があります。字義と都市史にも直接の関係はありません。
未解決点は、Thionk EssilとThionck Essylを明示的に結ぶ行政対照、グシライ語での地名全体の語構成、都市の正確な創設年と創設者、命名者、日本語の歴史的漢字表記、中国語の直接漢字用例です。
1849年、1857年、1860年の記録は、Thionk Essilが十九世紀に存在したことを示す材料です。しかし、植民地側史料だけで衝突の全体像を確定せず、現代の住民へ責任を重ねません。
参考資料
- セネガル国家統計・人口経済分析庁「RGPH-5 2023 THIONCK ESSYL」
- セネガル国土整備庁「Ziguinchor ND-28-II」KML
- セネガル官報第5373号、1990年10月19日
- セネガル官報第7429号、2021年6月11日
- セネガル国立地図局「Tionk Essil 測地標識票 V031」
- Robert M. Baum『Shrines of the Slave Trade: Diola Religion and Society in Precolonial Senegambia』、Oxford University Press、1999年、注66、76、81。
- Robert M. Baum『Shrines of the Slave Trade』公開OCR
- Gusiilaay「Language」
- David Sapir「Diola in the Polyglotta Africana」
- Pierre-Marie Bosc『A la croisée des pouvoirs』
- 国立国会図書館サーチ「ティオンク・エシル」
- 国立国会図書館サーチ「Thionck Essyl」
- 台湾政府資料開放平臺「國家教育研究院―外國地名譯名」
- 外務省「セネガル共和国基礎データ」
編纂綱領と公式サイト
本稿は万国漢字志 編纂綱領に基づいて調査・選定しています。
都市一覧は万国漢字志 公式サイトで公開します。
次回予告|都市篇 第六十二号
次は、バンジュールです。
カザマンスから隣国ガンビアへ視野を広げ、植民地期のBathurstから現在の首都Banjulへ至る名称史と、漢字圏の表記を調べます。
